会社で上位職になれば、その職責を果たそうと必死に仕事する。責任を持たされるという事は一種の動機づけにもなり嬉しいものである。権限と責任の一致とは組織の原理原則であり比例関係になる。責任を持たされるとその分の権限も持てる事になり職場でも優位な位置をキープできるであろう。
しかし、これら重責を担う上位職の人達はやりがいはあるが精神的にしんどいもの。体調を崩しても休めない事は多々あり、属人化された業務であれば尚更だ。
ある業務を特定の人にしかやり方が分からない状態になる属人化。それは、その人が不在であれば業務が停滞する原因となる。組織的対応をして円滑に業務が回る仕組みの確立と言いながら、中高年管理職は自分の存在価値をアピールする為に自分で抱え込む人が多い。
後進の育成の為に考えを改めなければならないのに自分の存在感を否定される原因にもなりかねないといった恐怖心から、一向に改善しない管理職も存在する。良かれ悪かれ、みんな生き残りに必死なのである。
長期に渡って職場放棄するが、給料もボーナスも当然のようにもらい、断固として辞職せず居座れる国会の世界と違い、民間の会社員は辛いものだ。
しかし最近の政治には呆れてモノが言えない。長期政権の弊害と世論は揶揄するが、かといって今の野党には絶対任せられないのが実情である。確かに政治の安定という点では長期政権というのはいいと思うが、拮抗する野党がいない為に緊張感があまりにもなさすぎると思う。
不祥事があってもしばらく身を隠せば無罪放免という状況の中で、真面目に国政を担う国会議員が少ないような気がする。あれだけ暴言のオンパレードの麻生大臣もずっと政権の中枢を担っているのがおかしいもの。
トップがころころ代わって政治が安定しなければ経済改革も進まない。国際会議でも毎年最初から挨拶しなければならず、名前も顔も覚えてもらえない。相手国もどうせ短期だろうからという意識で外交に臨んでくるだろう。政治の安定や外交を考えたら国家指導者は長く務めた方がよいというのが長期政権肯定論である。
一方で否定的な意見は長期政権の弊害に目を向けたものだ。首相の在任が長くなると誰も首相に逆らえなくなり、官僚などの忖度も激しくなり、自由闊達な政策論議ができなくなるという見方だ。
民間企業や会社員が生き残りを賭けて、必死に頑張っているのに、国民の代表たる政治家のお粗末には国民みんなが嫌気する。また正直に頑張る者が損をする社会になりつつあることが懸念される。
非現実的な話ではあるが、解散総選挙をして任期まで粘って暴利をむさぼろうとする悪徳政治家を、国会から排除して健全な社会にしてほしいものである。